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2011年6月16日 (木)

【67】FW: PUBLICITY 1924 :原発に夢中 05 ~「飽きていく」という主題による変奏曲

▼以下、メルマガ【 PUBLICITY 】の転送です。

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メルト 溶けてしまいそう

好きだなんて

絶対にいえない… 

だけど メルト 

目も合わせられない

……

お願い 時間をとめて 

泣きそうなの

でも嬉しくて 

死んでしまうわ!

「メルト」作詞・作曲:ryo 唄:初音ミク

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■■メールマガジン「PUBLICITYNo.1924 2011/06/15水■■

◆今号のポイント◆-------------------

さかのぼれば、原発作業員を巡る報道の歴史もまた、「飽きて

いく」という主題の、少しスパンの長い変奏曲に過ぎない。違

う主題の下で、幾つもの変奏曲をつくる必要がある。

--------------------- ◆PUBLICITY

▼『原発のある風景』は、一言でいうと、好みの本だ。各章の

題名といい、引用といい、文体といい、まなざしといい、対象

との距離感といい、権力の懐に斬り込んでいく言論の、一つの

範型だと感じる。

▼目次を紹介しておこう。上下巻の上は第一章「ジプシーの素

顔」、第二章「スクープ--敦賀原発事故隠し」、第三章「イ

レズミをした原発」、第四章「一冊の犯科帳」。

さらに下巻は第五章「神隠しの池」、第六章「誰がために鐘は

」、第七章「若狭路の春--病める町政」、第八章「原発のワ

レサ」、第九章「関西広域原発極秘計画--峠の向こうに」。

1983年=昭和58年刊の本書は、原発推進という国策の内

実を、読めばそのまま理解できるように描いている。

いくら正しい記述でも、断片的な羅列ばかりでアタマに入りに

くい本が多いが、『原発のある風景』は、全体像を、浩瀚にな

らず、適正な分量で--たとえば通勤や家事の合間に、1日平

均30分かけたとして、1冊を1週間ほどで読めるくらいの分

量で--まとめあげた良書だ。

▼『原発ジプシー』と『原発のある風景』を読んだ眼で見つめ

れば、ついさっき、あたかも初めて気づいたかのように、原発

作業員の大量の被曝を取り上げているマスメディアは、深刻ヅ

ラしている知識人、コメンテーターたちの姿は、殆(ほとん)

ど道化にしかみえない。

「あんたら正気か?」と、ひとりずつ肩を叩きたくなる。

一部の例外をのぞいて、彼らが騒げば騒ぐほど、隠されていく

事実がある。「ずっと昔からそうだった」という事実だ。

▼急いで付け加えよう。先の二冊と並んで触れなければならな

い先人の仕事は、樋口健二が撮った写真だ。代表作の『闇に消

される原発被爆者』は、八月書館から復刊されるそうだが、今

一番入手しやすい彼の著作は岩波ジュニア新書の『これが原発

だ』。

これまでに挙げたどれを読んでみても、マスメディアの限界が

明らかになるだろう。優れたルポルタージュを前に限界が明ら

かになるのは、むろんマスメディアだけではない。

かつて大阪万博を迎える前、原発建設の現場で唱えられたスロ

ーガンは「万博に原子の火を」だった。力強いスローガンだ。

原発=国策なのだから、これに反対する人々は、市民社会を脅

かす危険な反国家主義思想の持ち主と相成る。

さらに、常に少数派である反国家主義思想の持ち主たちの間で

、目も当てられない内部抗争が起こされる。その歴史は、当事

者たちは当然、語りたくないから、消えていく。そして「分断

して統治する」側の経験と知恵は蓄積されていっただろう。

▼さて、『闇に消された原発被曝者』は1981年刊(三一書

房)。先の2冊の刊行年は1979年と1983年。すべて昭

和50年代の作品だ(著者の年齢も並べてみよう。樋口健二は

1937年=昭和12年生。堀江邦夫は1948年=昭和23

年生。柴野徹夫は1937年生)。

▼なぜ原発作業員のルポが減ったのか。昭和50年代までと昭

和60年代以降とで、何が変わったのか。幾つか考えられる。

三人ほど、ライターや編集者の友人と話したが、まず大きな理

由は「電力会社側が変わった」点だろう。

前々号の冒頭で引用したように、『原発ジプシー』は減ってい

るようだ。それは電力会社側の、もしくは下請け側の“ケア”

が改善されたからかもしれない。

また、労働組合の弱体化も、原発作業員の様子がわからなくな

った要因の一つだろう。雇う側、雇われる側の、両方の変容が

、「取材者が内部に入り込めない」仕組みをつくったのかもし

れない。

しかし結局、被曝の被害者が減ったのか、じつは増えているの

か、肝腎なところはよくわからない。今、作業員の被爆量が基

準を超えたと報道が騒いでいるが、それを目にするたび、実に

申し訳ない感情とともに、非常にそらぞらしい感情で胸がいっ

ぱいになる。

現在ただいま、報道に携わっている人は、もしかしたら、『原

発ジプシー』や『原発のある風景』などの先行業績を読んでい

ないのではないか。下手をしたら、そもそもその存在自体を知

らないのかな?

▼もう一つ、考えうる理由は、「長文のルポを発表する場が少

なくなった」ことだ。つまり、商売にならない。これは原発作

業員の問題に限らず、あらゆる社会問題に通じる現象だ。売れ

ない商品は生産を減らす。資本主義の決まりだ。

すると必然的に、ルポのあらゆる「技術」が受け継がれなくな

る。じつはジャーナリズムの世界=業界そのものが、そういう

悪循環にすでに陥っていて、原発作業員の問題など、ほんの一

端に過ぎないのかもしれないが。

▼さらにもう一つ、【さかのぼる】観点から見過ごせないこと

を書いておきたい。それは「最も激しく原発を建設した時代に

、最も激しく原発の問題点を指摘する言論が発表されていた」

事実だ。つまり逆に、建設が下火になると、糾弾の論陣も下火

になった、という、単純な比例関係だったのではないか。

アフガンの「空爆」もパキスタンの「自殺爆弾」も、続けば続

くほどニュース価値が小さくなっていく経緯を、つい先頃まで

、ぼくたちは嫌というほど実見してきた。原発作業員を巡る報

道の歴史も、「飽きていく」という主題の、少しスパンの長い

変奏曲に過ぎない。

予測不能の恋で溶けた心も、誰でも検証できる冷厳な法則に導

かれるままに溶け落ちた燃料棒も、二度と元には戻らない。

お願い。時をとめて。その声はどこにも届かない。だからぼく

は、原発作業員の問題を、「飽きていく」という主題の支配下

に起き続けるつもりはない。

違う主題の下で、幾つもの変奏曲をつくり、演奏しなければな

らない。

(つづく)

freespeech21@yahoo.co.jp

http://www.emaga.com/info/7777.html

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